1. はじめに なぜ今、カスハラ対策・就活セクハラ対策が叫ばれるのか?
近年、過剰な要求や理不尽な言動で従業員を精神的に追い詰める「カスタマーハラスメント(通称:カスハラ)」や、採用選考の立場を利用した「就活生・インターン生へのセクシャルハラスメント(就活セクハラ)」が深刻な社会問題となっています。
これまでは企業のモラルや現場の自己責任に委ねられがちだったこれらの問題ですが、法改正によって企業に対する「防止措置の義務化(カスハラ義務化・就活セクハラ義務化)」へと舵が切られました。
「大企業向けの話ではないのか?」「うちのような中小企業では何をどこまでやればいいのかわからない」「正当なクレームまで拒絶してしまうのではないか?」といった不安や疑問を抱く経営者・人事担当者も少なくありません。
本記事では、企業の労務問題に精通した弁護士と中小企業経営者の対談内容をもとに、法改正のポイント、カスハラとクレームの境界線、中小企業が陥りやすい盲点、そして実効性のある具体的な対策までを網羅的に解説します。
2. 動画対談の登壇者紹介
本記事のベースとなっている対談には、企業法務の第一線で活躍する弁護士と、現場目線を持つ企業経営者が登壇しています。
- 原田 大 氏(弁護士 / アイリス大阪法律事務所) 企業法務を中心に、労務トラブル、ハラスメント防止対策、労使紛争対応などを数多く手がける専門家。法律論にとどまらず、中小企業の現場で実際に機能する実務対策に定評がある。
- 田中 耕平 氏(代表取締役 / Kohei Design) 中小企業を支援する経営者の視点から、現場が直面する疑問や運用の難しさ、コスト・リソースの現実的な悩みを鋭く切り込むインタビュアー。
形式的な法令解説にとどまらず、「現場で本当に運用できるのか?」「中小企業の実態に即しているか?」という実践的な視点で議論が展開されました。
3. 【カスハラ義務化】法改正の背景と事業主に求められる「4つの雇用管理上の措置」
カスハラ対策義務化の法的根拠(改正労働施策総合推進法)
カスタマーハラスメント対策が義務付けられる法的枠組みは、いわゆる「パワハラ防止法」として知られる労働施策総合推進法の改正によるものです。事業主は、顧客や取引先等からの迷惑行為から労働者を守るため、雇用管理上必要な措置を講じる義務を負うことになります。
事業主が講ずべき必須の「4つの措置」
法律上、企業が整えなければならない措置は大きく次の4点に集約されます。
【事業主に求められる4つの雇用管理上の措置】
1. 企業方針の明確化と社内周知・啓発
「カスハラから従業員を守る」という基本方針を明確にし、全社に周知する。
2. 相談体制の整備
被害を受けた従業員がためらわずに相談できる窓口および対応体制を構築する。
3. 事案発生時の迅速かつ適切な対応
カスハラが発生した際、事実確認を行い、被害者の救済・ケアおよび再発防止策を講じる。
4. プライバシー保護と不利益取り扱いの禁止
相談者のプライバシーを厳格に保護し、相談したことを理由とする不利益な扱いを禁止する。
単に「相談窓口というメールアドレスを作った」だけでは不十分であり、これら4つの柱が連動して機能する体制が求められます。
4. 現場が最も悩む「正当なクレーム」と「カスタマーハラスメント(カスハラ)」の境界線
要求内容と要求態度の二軸で判断する
多くの現場担当者や店舗責任者が直面するのが、「お客様からの指摘をすべてカスハラ扱いしてよいのか?」という疑問です。
結論から言えば、正当なクレームとカスタマーハラスメントは明確に区別されます。
- 正当な権利行使(クレーム対応)
- 商品の不具合や欠陥を指摘すること
- 規約や契約に基づき返品・返金を求めること
- カスタマーハラスメント(違法・不当な要求)
- 要求の内容そのものが不当である、または
- 要求を実現するための手段・態度が「社会通念上相当な範囲」を超え、従業員の就業環境を害するもの
具体的なカスハラの典型例:
- 大声での怒号、恫喝、威圧的な言動
- 土下座の強要など、屈辱的な態度の要求
- 長時間にわたり電話を切らせない、執拗な拘束
- 人格否定や誹謗中傷、SNSへの晒しをちらつかせる脅迫
商品に不備があったとしても、土下座をさせたり何時間も罵倒し続けたりする行為は、手段が社会通念を逸脱しているためカスハラに該当します。現場がブレずに対応するためには、「何が正当な対応で、どこからがカスハラなのか」という客観的な判断のものさし(基準マニュアル)を社内で共有しておくことが不可欠です。
BtoB(法人間取引)における理不尽な要求も対象に
カスハラは飲食業・小売業など一般消費者(BtoC)相手だけの問題と思われがちですが、原田弁護士が指摘するようにBtoB(企業間取引)も対象に含まれます。
下請け企業や受託企業に対して、発注元企業の担当者が過剰な無償作業を強要したり、威圧的な態度で契約外の要求を突きつけたりするケースも立派なカスハラです。「取引先との関係悪化が怖くて言い出せない」という心理が働きやすいため、企業は自社の営業・現場担当者が取引先からの不当な圧力に晒されていないか、目を配る必要があります。
5. 【就活セクハラ義務化】改正男女雇用機会均等法が求める企業の責務
保護対象が「従業員」から「就活生・インターン生」へ拡大
カスハラと並んで義務化されるのが就活セクハラ対策です。
従来の「男女雇用機会均等法」において、セクシャルハラスメントの防止義務は自社が雇用する労働者を対象としていました。しかし、今回の法改正により、採用選考に応募する就活生やインターンシップ参加者などの求職者に対しても、セクハラ防止措置を講じることが義務化されました。
OB・OG訪問や面接後の個別アプローチに潜むリスクと力関係
就活セクハラの本質的な根深さは、「内定を左右する側(企業)」と「内定を得たい側(学生)」という圧倒的な力関係(非対称性)にあります。
- 面接終了後に「合否のアドバイスをする」と称して個別に食事や飲酒に誘う
- SNSやメッセージアプリ(LINE等)で私的な連絡を執拗に送る
従業員側に悪気や自覚がなかったとしても、学生側は「断ったら選考で落とされるのではないか」という恐怖から拒否できません。
そのため、人事部だけでなく、リクルーターやOB・OG訪問を受ける若手社員、各部署の面接担当者全員に対して「求職者との私的な連絡禁止」「面談場所のルール化」などの厳格なルールを徹底周知しておくことが求められます。
6. 中小企業が陥る「カスハラ対策・就活セクハラ対策」の致命的な落とし穴
中小企業がいざ対策を進めようとする際、共通してつまずきやすい典型的なパターンが存在します。
規程改定で終わる「形骸化」の罠
最も多い失敗が、「就業規則やマニュアルを改定し、社内決裁を取って満足してしまう」ケースです。 経営陣が規程を整えても、現場の従業員にその内容が届いていなければ、いざというときに誰も活用できません。法律が求めているのは「規程を作ること」ではなく「従業員に確実に周知徹底・理解させること」です。
相談窓口担当者の教育不足と「二次被害」のリスク
「総務部や人事部の担当者を相談窓口に指定しただけ」という運用も危険です。 相談対応のトレーニングを受けていない担当者が、悩んで相談に来た従業員に対して「それくらい誰でもあるよ」「気にしすぎじゃない?」などと心ない言葉をかけてしまうケースがあります。 たとえ悪気のない励ましのつもりであっても、被害者にとっては深刻な「二次被害(セカンドハラスメント)」となり、企業の安全配慮義務違反を問われる直接の原因になりかねません。
全員参加型研修の物理的ハードル(シフト勤務・コスト問題)
中小企業では、「全社員を一堂に集めて研修を行う時間も予算もない」という切実な問題があります。特にシフト制の店舗・工場・医療福祉現場などでは、全員が同時に集合すること自体が困難です。 外部講師を招くコストもかさむため、「自社の規模や勤務形態に合わせ、オンライン動画学習やeラーニング、短時間の小グループ勉強会などを柔軟に組み合わせる」工夫が必要です。
7. 弁護士が語る「教育」と「客観的記録」の真の重要性
トラブル発生時、行政や裁判所は何を重視するのか?
万が一、カスハラや就活セクハラを巡って社員や就活生と紛争になり、行政指導や裁判に発展した場合、会社側が厳しく問われるのは「会社としてハラスメント防止のために具体的に何をしていたか」です。
このとき、「我が社には方針がありました」「社内報に一度載せました」という主張だけでは、法的責任を免れる証拠として極めて脆弱です。
【法的に問われる「会社の対応実績」】
- いつ(研修の実施日時・時期)
- 誰に(受講対象者と実際の受講記録)
- 何を伝え(使用した研修資料・テスト内容)
- どこまで理解させていたか(受講履歴、アンケート、テスト結果)
単なる口頭周知(朝礼等)では証明にならない
「朝礼で社長が注意を促しました」「ミーティングで口頭で伝えました」といった口頭ベースの周知は、後から客観的に証明することが不可能です。紛争の現場では「記録のない対策は、やっていないのと同じ」とみなされてしまう厳しさがあります。
「記録のための教育」に陥らない本質的な職場づくり
ただし、「裁判で勝つためのアリバイ作り」として受講サインだけ集めるような研修になっては本末転倒です。 本来の目的は、理不尽なハラスメントが発生しない健全な職場を作り、従業員がいざという時に守られる環境を整えることにあります。 正しい防止活動を継続していれば、そのプロセス自体が「自然な記録」として自ずと残る――という意識を持つことが重要です。
8. カスハラ・就活セクハラ対策を起点とする「職場リテラシー全体の底上げ」
介護・育児・マタハラ・メンタルヘルスとの連動性
カスハラや就活セクハラへの対策は、独立した単一の取り組みではありません。 育児休業・介護休業をめぐるハラスメント(マタハラ・ケアハラ)、メンタルヘルス不調への理解など、あらゆるハラスメント対策や労務管理の根底にあるのは「相手の人格を尊重し、健全なコミュニケーションを保つ」という共通のリテラシーです。
カスハラや就活セクハラの義務化を契機として、職場全体のコンプライアンス意識やコミュニケーションの質を底上げしていくことが、結果として最もコストパフォーマンスの高い組織防衛につながります。
離職防止と採用力強化:中小企業こそ対策が経営メリットに直結する
中小企業において、カスハラによって従業員がメンタル不調に陥ったり、離職したりすることの経営的損失は計り知れません。
- 貴重な現場戦力の損失
- 再採用・再教育にかかる莫大なコストと時間
- 残された社員への業務負荷増大と士気低下
「会社が現場を顧客の理不尽な攻撃から守ってくれる」という安心感は、エンゲージメントの向上と定着率改善に直結します。また、「就活生を対等な立場で尊重するクリーンな企業風土」は、採用市場における大きな競争力となります。
9. まとめ:完璧を目指す前に、まずは一歩を踏み出し記録を残すことから
法改正によるカスハラ・就活セクハラ対策の義務化に対し、「何から手をつければいいかわからない」と立ち止まってしまうのが一番のリスクです。
原田弁護士が強調するように、「最初から完璧な体制を目指す必要はありません。まずは自社にできる第一歩を踏み出し、従業員への周知と客観的な記録を残すことから始めること」が何より大切です。
チェックリスト:今日から自社で取り組めるアクション
- [ ] 経営陣が「ハラスメントを許さない・社員を守る」という基本方針を言葉にして社内に発信する
- [ ] 就業規則や相談窓口の連絡先を全社員が確認できる場所に掲示・共有する
- [ ] 正当なクレームとカスハラの線引きを社内で共有する
- [ ] 採用選考に関わる社員に「就活生との私的連絡の禁止ルール」を通知する
- [ ] 短時間の動画やeラーニング等を活用し、受講履歴(日時・受講者名)を保管する
法制度の整備や自社マニュアルの策定に不安がある場合は、トラブルが発生して企業イメージや金銭的損害を被る前に、企業労務に精通した弁護士などの専門家に早期相談することをおすすめします。
